土星より、淡彩の光点を望む

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『山月記』解説

はじめに

 これまで『山月記』は、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」がこの短編の主題だとして読まれてきた。「自ら恃む」傾向の強い人間である主人公の李徴が挫折し、さらには虎になり、虎になった姿のまま、かつての旧友の出世した様を目の当たりにする。旧友との会話のなかで、自身の半生を振り返り、そうして「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に関する自己分析が語られる。自らの倨傲さと折り合いのつかぬまま、己の浅ましさを認めることは苦痛である。李徴は、「こういう人間にはなりたくない」と思いつつも、自分自身のなかに幾らかは認めなくてはならないような人間像として、半ば恐怖で持って受け止められてきた。たとえば、『ロリータ』がペドリフィアの存在を図らずも顕在化させたことに似て、『山月記』の場合では、現代人の自意識の強さ(とその行く末)を李徴は映し出しているのである。

 このとき、虎はシンボルと化す。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが各人の性情だといふ。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

 李徴の言葉は、抑えが効かない羞恥心(自尊心)が自分自身を損なうに任せていたら、内心に相応しく外形も変わってしまった、ということになってしまっているのだ。

 以上のあらすじは、しかし、『山月記』が寓話として処理されるが故に通用しているにすぎない。それというのも、この理解では説明のつかない細部が残るのだ。「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」と言っていた李徴が、己の性情ゆえに虎になったのだと言うに至るのはどうしてか?これを説明できないのである。

 寓話は生きる我々にとって意味がある。だが、寓意はフォルムに疎いのだ。一流の小説と二流の小説の違いを寓意は説明できないし、小説でも、自己啓発本でも、ラジオでも、スピーチでも、寓意は畢竟どれでもよくしてしまう。

 これではあまりに貧しいだろう。

 なぜなら、『山月記』は散文の傑作でありつつ、ほとんどの日本人が読んだことのあるという、稀有な作品だからである。ここでは文体は問わない。俎上に乗せるつもりなのは、『山月記』の寓意であり、ここでの目的とは、その発生を問うことで、従来の読み方に肘鉄砲を食らわせることにとどまらず、『山月記』の新しい読み方を提示することである。

虎になったことと尊大な羞恥心

 内心に相応しい形として虎になったと言ったのは、他ならない李徴自身だ。これを文字通り受け止めたとき、この短編は驚くことに第一段落で完結する。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を育んだのは、虎になってからの李徴ではなく、人間だった李徴だからだ。虎が本当にシンボルになったなら、虎になったということは比喩表現を超えられない。よって、虎になった意味は小説を小説たらしめるために必要であり、ここからあえて述べるとすれば、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の自己分析を生み得たのは、虎になってからの李徴であるという一点に集約される。

 虎になった意味が件の自己分析を生み出したことにあるとするならば、件の自己分析を生む直接原因を探りたくなる。虎になった李徴は如何なる困難に直面したか?

  • 人間の心が獣性に飲み込まれ、人間である時間が日が経つにつれ減っているということ。
  • 人間の心に戻った時分に、己の残虐な振る舞いを知ること。
  • 虎になり、人間にも他の獣にも恐れられ、己の苦しみには誰も共感してくれないということ。

 ところが、このことは短編のテーマを形成するほどの扱いは受けない。何しろ、他の部分と同じく李徴の述懐にすぎないのだ。つまり、困難の量に比して質には疑念が残っている。これが件の自己分析を生むに十分だと判断するならば、虎になるという空前絶後の事態をすんなりと受け入れた瞬間から、想像力がお節介にも困難に伴う苦難を賄っているからである。一歩立ち止まって考えてほしい。人が虎になるということは、それだけで興味をひく題材であるのにも関わらず、中島敦はこれをほとんど活用せず、作中では漢詩を朗読するための前座にしているのである。

 では、さらに譲歩して、不文律の世界観が『山月記』にはあり、これが李徴が自己分析を生み出す背景になっているというのはどうか?不条理そのものは人間には直視することができず、いつも何か原因を必要とさせるという人間存在の原理があり、それが李徴をして、尋常の性情を変え、真摯な自己分析をするに至った、ということだ。そうした理解は常識と対立するものではない。このような観点が、「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」と言っていた李徴を、己の性情ゆえに虎になったのだと言わせたというわけである。

 ところが、これも別の問題を生む。虎になったということは不条理に違いないにも関わらず、では、驕り昂る李徴にとって、文名が揚がらないことは不条理ではなかったのかということである。まさか李徴が自分の実力不足を認めるはずがない。こう解すると、第一段落の終盤「彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑へ難くなった」までの道程にある失敗すら、自己分析の中身「今思へば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了ったのだ」以降を導くことができてしまうのである。

 つまり、李徴の言葉を真実として理解していったとき、臆病な自尊心と尊大な羞恥心についての自己分析の発生と虎になったということの関係を説明できないのだ。

 ようやく『山月記』の異常さが顕になってくる。その異常さとは、虎になったことではなく、虎になったという信じ難い出来事が生じていながら、それがどう扱われているか判然としていなかったということなのである。第一段落の李徴像は全体を覆うものであり、主題と思われていた臆病な自尊心と尊大な羞恥心の下りは、第一段落のジンテーゼではなく、アンチテーゼでもない。ただの補足なのである。

 では、虎になったとは一体なんだったのか?臆病な自尊心と尊大な羞恥心はこの物語に何を及ぼしたのか?

李徴の詩

 この短編においてたった一つ、渓山にいた、あまねく心を照らしているものがある。李徴の漢詩である。この漢詩は、ちょうどこの物語の月のような薄明でもって、袁傪一行の心を打つ。このことをどう考えるか?

 思い起こすべきなのは李徴の夢だ。彼は、「己の詩集が長安風人士の机の上に置かれている様を、夢に見る」ことを話す。彼の漢詩が一流であるか否かという点と、彼の漢詩が他人から評価されるかという点は、別問題である。『山月記』執筆時、世間的な名声を博していない中島敦がこのことに疎いはずがない。自分が小説家足り得るかどうかの瀬戸際にいて、まだ足り得るとは言い切る自信を持てなかった中島敦には、李徴の心理を自己のカリカチュアとして描くことは造作もなかったに違いない。『山月記』の李徴とは、中島敦の鏡像であり、同じ姿をしているのに彼とは左右反対のことをしている、そのような存在である。

 李徴は、「産を破り心を狂はせて迄、自分が生涯それに執着した所のもの」という中島敦自身が抱いていて不思議でない詩業に対する観点を有しつつ、それと同時に、中島敦が抱くはずのない文学観、「巧拙は知らず」と漏らしてしまうのである。

 故に、詩業を、作品自体の巧拙と作品がもたらした評判との二つの評価軸に分けたならば、李徴にとって両者は等価値だったと言うことは不公平な判断であるとは言い切れまい。李徴の吟誦が観衆(袁傪一行)にそれなりの効果をもたらしたということは、彼にとって、夢に見たことの実現でもあったわけだ。

 李景亮作による漢詩の後には、次の文章が続く。

時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げてゐた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。

 これこそ、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が求めたものであり、虎になったことの直接の結果である。

 今一度、はじまりに立ち返ってみよう。狷介な李徴は詩家の名を後世に残そうとして官吏を辞す。しかし詩業に半ば絶望した挙句、発狂して虎になる。それから一年経ったある夜明け前に旧友と再会する。彼が詠んだ詩は、旧友をして、李徴が詩人として大成しなかったことが惜しいと思わせるのである。

 こう読んだとき、虎になるということがなければ「詩家としての名を死後百年に遺す」ことの可能性が李徴にはなかった、ということに気がつく。それは、人を捨てて虎になった不条理がもたらした、たった一つの幸福と解すべきか、あるいは、極めて驕りたかい人物が己の目的を完遂するための最終手段だったのだと解すべきなのだろうか?

 一つ目こそ通常の解釈なのだが、深く細部を覗いていくと綻びが現れてくるということをこれまで確認してきたはずだ。あらためて述べると、この短編において、怪異になるということは不条理としてほぼ描かれていないのである。虎になることの超常現象を袁傪が素直に受け止めたときに、虎になることに伴う苦悩を読者は想像で補ってしまう。しかし、第一段落から臆病な自尊心と尊大な羞恥心の下りまで、李徴は虎になってなお、何も変化を被ってはいないのだ。すると、不条理はあろうことか御都合主義に化すのである。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが各人の性情だといふ。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

 二度目の引用だが、別の意味が浮かび上がっている。羞恥心が本当に猛獣ほどに、虎ほどに肥大していたとしたならば、人は一体どこまでのことができるのであろうか?「詩家としての名を死後百年に遺す」という彼の執着心は、常人には思いもよらない行為を彼にとらしていた可能性があるのではないか?

 この問いが導くのは、彼の切願に可能性をもたらした虎になったという事実に疑念を挟むことなのだ。

 李徴が虎になっていない可能性を持って再読したとき、中島敦はその可能性を消さないように舞台を作り出していることが理解できる。これが『李徴は虎になってはいなかったのだ』に書いたことである。

 そして、李徴は虎であるように見せかけているだけであった場合に理解できるのは、臆病な自尊心と尊大な羞恥心はこの物語に何を及ぼしたのか?という問いに対する答えだ。

 彼の稀有な心理が己の身を虎とすることを良しとしたのである。

山月記』と『人虎伝』

 『山月記』には原作に相当する『人虎伝』という短編があり、『人虎伝』には、さらにオリジナルの短編『李徴』がある。唐の李景亮は『李徴』を脚色して『人虎伝』を書き、これが人口に流布した。李徴の詠む漢詩は李景亮が追加したものである。中島敦が取材したのは李景亮の『人虎伝』だと言われている。

 『人虎伝』を読むと分かるのは、『人虎伝』でも、李徴は叢のなかにいて、袁傪とはほとんど面と向かい合うタイミングが描かれないという事実である。これは勿論、中島敦は『人虎伝』通りに舞台を配置しただけだから、李徴が虎になっていないという説はただの邪推である、という反論を生む。『人虎伝』と『山月記』は同じプロットを持った異質の伝奇(何が奇しいのかが違うのだ)であり、舞台装置は似ていてもその効果は異なっているのである。

 『山月記』と『人虎伝』と同じプロットを持っている。登場人物は李徴および袁傪。同時代の同じ場所。李徴は虎になっていて、旧友の袁傪に虎になるまでの話をするというのが短編の中心場面になり、終わり方も同じく、袁傪から別れたあとの李徴の咆哮である。作中の漢詩も同じものだ。

 ただし、李徴が皇族の子孫という身分であるといことと、李徴の話すエピソードに違いがある。この中で最も大きな違いは、『人虎伝』において李徴が漢詩を詠じたあとに、袁傪から、虎になったのは何か自分に間違いがあったからではないかと尋ねられる箇所である。

 李徴は、これに応えて、自分が未亡人と交際していたことを話す。このことが未亡人の家族に露見して、会うことが叶わなくなる。李徴は逆恨みから、この家に火を放ち、一家全員を焼き殺すのである。虎になったのは、この放火殺人に起因しているのだと李徴は悔やんで述べる。

 『人虎伝』には因果応報の世界が背景にあり、李徴が虎になったことにも理由があったのである。知っての通り、中島敦はこの明瞭な理由を削除している。

 これが20世紀初頭には通用しない世界観であるゆえに削除したのだとするならば、中島敦は別の理由を作り出さなかったのはなぜかという疑問が残る。少なくとも、このエピソードが削除されたことで、『人虎伝』では確かに虎になっていたのが、『山月記』ではそう言い切れなくなっているのである。

 次に、『人虎伝』と『山月記』の関係性を考える。

 古典の新釈、他言語小説の翻案というものが、ある作品を参照して作り出した創作物にはある。『人虎伝』に対して『山月記』は何か?いずれでもない。『山月記』は『人虎伝』と時代背景とプロットを踏襲しつつ、浮かび上がる像はあまりに違う。新釈が施すプロットの改変はほとんどなく、翻案のように漠然と同じプロットの同じテーマというわけでもない。『人虎伝』と『山月記』の比較から、『山月記』の近代性について敷衍する論文がある。『山月記』の近代性は明らかである。というのは、李徴が中島敦の鏡像だとする定義は、すなわち李徴を近代的知識人に仕立て上げることに他ならないからだ。だがこのことを持ち出して、中島敦が(当時の)現代版人虎伝を試みたと推測することはまだ難しい。「現代版」であるならば、時代背景を変えなかったことと、虎になるという現代人には受け入れ難い現象について、中島敦が手を入れようとしなかった理由がわからない。

 『山月記』が、大体においてプロットを踏襲しつつ同テーマを扱う単なる翻案ではないことは、この短編の所々に、プロットとしては小さいがテーマには大きく影響を与えるような改変をいくつも施している事実によって、明白である。これまで述べたものの他に例を挙げれば、李徴の漢詩は、『人虎伝』において全て絶賛されているが、『山月記』では誰もが心に引っかかる、「第一流の作品になるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」という、袁傪による寸評に変わっている。

 だが、『山月記』の執筆意図には明確な何かがあるはずだ。なぜなら、これはフィクションを踏まえたフィクションだからである。翻訳ではない場合、何か確実に試みているはずである。以上、『山月記』が翻案ではなく、新釈とも言えなそうだということを述べたことによって、消極的に、他の理由が必要となってくる。よって、ここに第三の意図が生み出される。『人虎伝』の不完全さに対する中島敦その人の姿だ。

 『山月記』が短編として一部の隙もない完成度を誇っていると私は思う。それに反して、『人虎伝』には物語の空白部分が多くある。使われずに残った小道具が。ついでのように話される李徴の詩や、「才を恃て倨傲なり。跡を卑僚に屈する能はず」という李徴の性格が官吏を辞す以上には展開しないこと、それに叢や夜明けのことだ。これらの用意されながら放り出されたままの小道具たちに、星座を知っている人間には星の位置関係が特別な模様を作り出していると思えるように、中島敦だけが図像を見出したとしたならば、それは試してみるに十分な理由であるはずだ。この説は、中島敦が見出したという図像を提示できなければただの思い込みと言われて仕方がないのだが、どうもこれまでのやり方で可能なように思えるのだ。

 『人虎伝』から『山月記』へ引かれるプリミティブな線は、「李徴が虎になっていなかったら」という想定であり、これが李徴の傲慢な性格を極端に拡大させた瞬間に、これまで無秩序に散らばっているかに見えたものたちが新しい紋様を浮かべ始める。「虎になったこと」よりも荒唐無稽な「虎になったという嘘」はすでに『人虎伝』に用意されていながら、『人虎伝』の作者は使わなかったのだ。

 中島敦が『人虎伝』を読んだとき、示されながら使われなかった小道具たちの使用方法を直感した。そしてやってみた、たった一人の冒険家だったのだ。こうした飛躍した推論ができるのは『山月記』を終着点と見立てることができるからだ。中島敦のドローイングの妙やそれに伴う苦しみは、これこそ想像することもできないのだ。

 こうやって長々と書き立てなければならないのは、あり得なそうに思えても、否定することもできないからである。

終わりに代えて

 ところで、『人虎伝』を読むと気がつくのは、そこには漢詩中の明月以外には、視界に関して記述されていない、ということだ。よって渓山は明るい印象を漠然と抱かせるが、そのことで『山月記』が舞台の薄明かりの具合が詳細に描写されていることが改めて目を引く。『山月記』において、袁傪が出発した時は、朝の未だ暗い時。残月の光たよりに歩いていると、李徴に出会う。李徴が詩を詠み終えるときはまだ残月の明かりだけで、皮膚に刺す冷風が暁の近いことを教えている。別れを告げるときに、ようやく空が白みはじめ、暁角が響く。そのあと李徴が姿をあらわすのは、丘の上にいる袁傪に対して、李徴は谷間。月は白さを失って、だからきっと暁光が丘には差し込んでいるはずなのだが、李徴はまだ陰にいるのだ。

 『山月記』における漢詩の明月は、山月記の舞台と調和していない。また、吠える李徴が丘の上ではなく谷間なのは、やはり、訳があるからではないだろうか。